2012年8月アーカイブ
アーリントン墓地です。その数は解りません。そしておそらく日々増えていることでしょう。この国ばおそらく80年近く世界の何処かで
常に戦争をしているのではないでしょうか。もちろん自国内ではないですが。
本当に若い人々がこれからのアメリカを担っていくべき人々が、自分の国の為、世界平和のために尊い、そして若い有能な命が今も
失われている現状に心がいたみます。
ケネディ大統領の墓です。子供と奥さんも一緒に眠っているんだそうです。特別な場所でした。
我々二人はどうなんでしょうね。一緒の墓に眠るんでしょうか。そろそろ検討課題として真剣に具体的に考慮をはじめる時期かも
でも、今も大事ですね。今がないと将来はありませんものね。
ワシントンDCの観光である。そもそもワシントンDCとは。District of colombiaの略でコロンビア特別区連邦直轄地
いずれの州にも属さない、アメリカ合衆国の首都の所在地です。ワシントン市と連邦政府直轄地域のコロンビア特別区を足した呼び名
だそうです。
首都ですから色々な国の重要な組織の建物とかビジネス関係の本店とかが在るのでしょう。行きかう人たちも何か特別にみえました。
石作りの古い建物がたくさんありました。その中でこんな風景を撮ってみました。右の写真はこれから市内観光をバスでするのですが
そのオープンバスを待っているところです。確か一人37ドルだったと思います。大人が9人、子供2人です。
これから、ワシントンのオープンバス、2階建てバスで2階部分が天井がないオープンです。で市内観光です.
写真がちょっと小さいですが、球場内のバーガーショップです。ジョウダンが持っているのが、確か大人用のホットドッグのセットだったよう
な記憶があります。これにでっかいバケツみたいな飲み物ですね。ヤンキース戦は7回まで見て帰りました。
弟のケイラブが明日学校なので、この時点で5対5の同点でした。最終的にはヤンキースが8対5で勝ったゲームでした。
帰りは地下鉄の駅まで歩くのですが、途中同じように黒人が多いブロックを通るのです。今度は話しかけてくるんですね
野球はどうだった、どちらが勝ってたなんてね。するとジョウダンが5対5のスコアだった7回まで、良いゲームだったよ、と返事
皆急ぎ足で駅に向かいました。すると来る時に降りた駅がしまってました。どうするんだろうと、ちょっと不安になりました。
が近くにまた別の駅があるというので又歩きです。その駅が開いていたときはほっとしましたね。
日本では感じられない様な恐怖感でした。帰りの電車の中もほぼ100パーセント近く黒人でした。乗ってる人も、降りる人も
乗ってくる人も、その中で日本人はきわめて奇異な存在でした。
球場を去る時、娘がデジカメを落として壊したんです。何か後ろでガチャンと音かしたなと思ったら、残念
レイモンドさんが娘に I am sorry レイモンドさんのせいじゃないのに。
娘いわく、しょうがない壊れたものは
彼女の名前はashley boykin 、アシユリィ ボイキン、アメリカ海軍の軍人です。以前はエセックスに乗ってましたが、船が交代しました
今は別の船に勤務してます。一年前に私が管理している一戸建てを案内したんですがキャンセルされました。でもちょっとした会話
の中で、私が週末だけ行く隠れ家の話をしたら、ぜひ見たいというので案内したことがありました。私の自宅と息子の自宅もつれていきま
した。現在の住まいは若竹台の大きな一戸建てに一人で住んでます。大学を卒業して初めての赴任地が佐世保だそうです。
先月、突然メールがあり、今月の末iから3ケ月間の洋上訓練にでるのでその前に又会いたいというメールがありました。
何回かやりとりをし、日曜日に隠れ家でのバーベキューに招待しました。朝までの勤務明けということで少々お疲れ気味でした。
最初ニミッツパークでの待ち会わせでしたが、当日は何かイベントで入れず、急遽電話して、バックゲートに変更し、車をもってたので、
先導して隠れ家までつれてきました。その時の様子です。
暑かったけど、良い風があって気持ち良い時間をすごせました。
12月のなかば帰るそうですが、又連絡があることでしょう。その時は囲炉裏小屋に招待です。又仲間と贅沢な時間を楽しみます。
ジャズが好きと言ってましたので、いい音楽もご馳走するつもりです。
人と人のつながり、縁.誰かの為に何かをする。大事なことかもしれませんね。